国家の生産性 2019 5 11

 日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一の足跡の一部を
埼玉県深谷市教育委員会の資料で見てみましょう。
これは、渋沢栄一が官界から実業界へ転進するころです。
 渋沢栄一は、1840年に現在の深谷市で生まれました。
1868年に欧州視察から帰国した後、
現在の静岡県に「商法会所」を設立したところ、
大隈重信の説得により、明治政府の大蔵省に仕え、
財政の整備に当たります。
 1873年に大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職し、
以後は、92歳で死去するまで、
実業者の最高指導者として活躍しました。
(引用、以上)
 この資料の別の行には、このような記述もあります。
渋沢栄一は、帰国後、
日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を
現在の静岡県に設立しました。
 翌年には、明治政府の高官である大隈重信の説得で、
大蔵省に出仕し、国家財政の確立に取り組みましたが、
官界の硬直した体制に限界を感じた渋沢栄一は、
大蔵省を4年で辞め、実業界へ転進し、
第一国立銀行をはじめ約500社の設立に関与しました。
(引用、以上)
 なんだか、今も同じような話を聞きます。
優秀な成績で官僚になったのに、
数年で辞めて実業界へ転進してしまうという話です。
 私は、多くの本を読みますが、読んでいる途中で、
「この著者はすごい人だ」と思って、著者略歴を見ると、
大学卒業後、数年間は、官僚として仕事をしています。
 このような優秀な人たちが官僚を辞めてしまう原因は、
多くが「国会対応」だと聞きます。
 明らかに生産性の低い「国会対応」に、
朝から晩まで追われて、疲弊してしまう。
 本来であれば、「政策官僚」として活躍したいのに、
国会関係の仕事で1日が終わってしまう。

アナウンサー 2003 9 19
 アナウンサーとは、用意された原稿を読む人のことです。
実は、日本の大臣も、アナウンサーです。
 まず、大臣就任あいさつ。
これは、実は、ある程度、官僚が事前に作成して用意してあります。
 もちろん、能力がある人は、
官僚が用意した「大臣就任あいさつ」は、必要ないでしょう。
大臣の「談話」や「コメント」も、基本的に、官僚が作成しています。
 さらに、国会答弁。
これも、官僚が事前に答弁書を作成して用意してあります。
 なぜ、事前に答弁書が作れるかというと、
国会での質問予定者は、何日も前から、事前にわかっているのです。
 そこで、若手官僚が、質問する予定の議員のところへ行って、
事前に質問内容を聞いてくるのです。
 官僚は、教えてもらった質問内容を省内に持ち帰って、
答弁書を作成するのです。
 詳しくは知りませんが、
課長補佐あたりが、答弁書の原案を書いて、課長と協議して、
最終的には、局長に目を通してもらうのかもしれません。
そして、答弁書が完成したら、大臣に手渡すというシステムです。
 大臣答弁ならば、深夜で終わりますが、
総理大臣答弁となると、各省庁間の調整が必要になりますので、
答弁書が完成するのは、深夜どころか早朝になってしまうと聞いたことがあります。
 そのほかに、何かの記念式典で、
大臣が、あいさつしますが、
この「あいさつ文」も、官僚が事前に作成したものです。
 そういうわけで、極端な話、誰でも大臣はできます。
会社員でも、自営業者でもできます。







































































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